伝統工芸の旅
赤津焼
日本六古窯の一つに数えられる赤津焼は1300年を越える歴史を持ち、 赤津地域に窯を開いた歴代の優れた陶工達によってその技術や製法が確立され、 現代に脈々と受け継がれています。
赤津焼の始まりは、奈良時代(700年頃)に焼かれていた須恵器という土器にまで 遡り、江戸時代初期に現在ある伝統的技術・技法や名称が確立しました。
桃山時代から江戸時代初期にかけて、志野、織部、黄瀬戸(きぜと)、 御深井(おふけ)等、各種釉薬(ゆうやく)の技法が確立されました。 尾張徳川家の御用窯として栄え、現在まで続いています。
昭和52年に通産省(現在の経済産業省)より「伝統的工芸品」として 認定され、伝統工芸士に認定された陶工による作品には「伝統証紙」が 添付されます。
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赤津焼の釉薬(ゆうやく)
■灰釉(かいゆう)
草木の灰を溶媒とした釉薬。中国の殷時代(B.C.1400年〜B.C.1027年)後期に 発祥したと言われ、日本では平安時代以降に盛んに用いられるようになった。
■鉄釉(てつゆう)
鉄分を多く含む釉薬で、含まれる鉄分の量により黒色から褐色と発色の違いを 見せる釉薬。その発祥は鎌倉時代初期と言われる。
■古瀬戸(こせと)
鉄釉の一種で、特に黒色の中に茶褐色部分がある釉薬を指す。茶入れをはじめ 茶道具に多く使用され、鎌倉時代〜室町時代は古瀬戸黄金時代と言われる。
■織部(おりべ)
古田織部が好んだ銅を含む釉薬で、桃山時代から江戸時代初期にかけて主に 茶道具に用いられ多くの茶人、武士に愛用された。現代でも抹茶茶碗などでは高級品の代名詞である。かつては志野、鳴海、瀬戸(瀬戸黒、黒織部、織部黒)、絵之手も織部と呼ばれていたが、現在は黒織部、青織部、赤織部、絵織部を指し、一般的には青織部が「織部」として称されることが多い。「織部焼」といった通称は釉薬名が一人歩きして作られた言葉である。
■黄瀬戸(きせと)
鉄釉の一種で鉄分の含有率が10%程度で美しい黄色に発色する釉薬。 桃山時代には茶道具の他、皿や鉢などにも多く用いられた。
■志野(しの)
長石のみを釉薬として使用したもので桃山時代の発祥と言われる。 赤津の長石は鉄分の含有量が少なく白色に発色するため、通称白志野とも 呼ばれる。
■御深井(おふけ)
灰釉の一種で淡青色に発色する釉薬。発祥は桃山時代だが、江戸時代に 尾張徳川家が名古屋城御深井丸の庭に窯を開いた際に指導者として江戸から 呼ばれた中国人の陳元贇(チンゲンピン)の指導によって改良され現在の 御深井釉となる。この御深井釉が赤津に開かれていた尾張徳川家御用窯でも 用いられるようになり、現在の赤津焼に受け継がれています。 <宋窯より>
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