伝統芸能の旅

加賀の能楽

文芸の振興に力を入れた加賀歴代藩主が最も執心したのが能楽。中でも将軍綱吉好みに合わせて奨励された宝生流は、支藩の大聖寺藩でも盛んになり、藩主をはじめ藩士たちの多くがその幽玄華麗な世界を楽しんだ。 そのなごりを今にとどめるのが、正月に行われるお松囃子(市指定無形文化財)だ。松囃子とは、正月2日または2日の夜に、幕府や諸大名が城内に家臣を参列させて行った“謡初め”のこと。芸術面に秀でた大聖寺14代藩主前田利鬯(としか)がその伝統風習を重んじたため、今日まで面々と受け継がれたという。 大聖寺では毎年1月2日、地元の錦城能楽会により紋付・袴・裃の正装で上演されている。

山中節

昔、山中温泉のお客様の大半は附近の船頭さん達で、古い唄に「山が赤なる木の葉が落ちるやがて船頭衆がござるやら」にもある通り、春から秋にかけて北海道附近に出稼していた船頭さん達が、冬が近づくと家に帰り一年の苦労を癒すため、この山中に来てゆっくり湯治をしたのである。 この人達は山中に来れば少なくとも一週間、長い人は一ヶ月も滞在して湯にはいり、身体を休めるのが何よりの楽しみだったのである。そこで、のんびりした気持ちで出稼ぎ中に習い覚えた松前追分をお湯の中で唄い、それを外で聞いていた浴衣娘(ユカタベ)達が聞き惚れて、山中訛でまねをしたため、何時とはなしにこうした唄となり、昔は“湯ざや節”とも言ったそうで、古く元禄の頃より唄っていたものだそうである。 こうしてお湯の中から生まれた山中節こそは、生粋の温泉民謡なのである。

民俗芸能

武家による芸能とは別に、庶民の間に浸透していた民俗芸能も市内各地に残る。「ああ しゃしゃむしゃしゃなら しゃしゃでしゃんとすりあ」と囃すしゃしゃむしゃ踊りは、日本海に望む港町・塩屋町周辺に伝わる盆踊り唄。蓮如上人から伝承されたものともいわれ、蓮如踊りの異名がある。旧盆の8月14〜17日には、塩屋の浜辺で老若男女が素朴な唄にのせ夜を徹して踊り続ける。 ぐず焼きまつりで有名な動橋では、ゴリ(グズともよばれる川魚)をモチーフに子供たちに歌い継がれてきたごりよび唄がある。 ごりよび唄がうたわれる動橋川 動橋川の川辺で「ゴリや ゴリゴリや」と可愛らしくおびき寄せる魚捕りのわらべ唄で、川と密接な暮らしぶりもうかがえる。農作業の唄としては、黒崎町に江戸時代から伝わる黒崎土ねり節がある。村人総出で水田の溜め池を作る際に唄う、いわば景気づけの唄だ。軽快なお囃子が、労働の厳しさを癒してくれたのであろうか。歌詞はその時その時で創作されて唄われたようだ。 以上3つの民謡は市指定の無形民俗文化財。このほかにも、盆踊り唄、祝い唄など数多くの民謡が伝承されており、いくつかには橋立港を中心に栄えた北前船貿易の影響も色濃く映されている。 このように、文化芸能を愛で熱心に継承しようとする加賀の土地柄は、今なお健在です。  また温泉地ならではの庶民文化の華、芸妓たちの三味線・舞踊・小唄の技芸も忘れてはならない。片山津温泉の検番では、かつて芸妓たちがお稽古していた所が見られ、その当時実際に使用していた、お三味線などが置いてあり、お稽古風景が胸に浮かぶのではないでしょうか。

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